第五回大輪塾朗読劇のチラシ

「詩人が書いた幻想童話集」(2017年11月9・10日青山マンダラ)

ご挨拶

本日はお越し下さり、ありがとうございます。
大輪塾では演劇だけでなく、世界の名作映画、文学、絵画などに関する講義も行っておりますが、第5回になる今回の朗読劇では「詩人の書いた幻想童話集」と題して、詩人達が残した美しい童話を取り上げました。アンデルセン、寺山修司(彼等の童話もあまり読まれない昨今ですが)と、まずはその名を耳にする機会のない吉田一穂、小熊秀雄の作品です。
しかし、人の目に触れることも無く、その存在さえ知られないこうした詩人の童話作品は、青年詩人が極貧の中で書き綴った本当に美しい幻想ヴィジョン、宝玉の言葉の華なのです。
今回は、こうした作品が塾生役者達の心の中に生涯忘れることのない財産となる事を願い、また皆様にも日本の詩人達が奏でた幻想童話の魅力を味わって頂きたく、公演に選びました。最後に彼等を敬愛してきた私の書いた童話集の中からも一編を加えさせて頂きました。
大輪塾主宰 大輪茂男


アンデルセン
1805年生、デンマーク。彼の童話がはじめて世にでたのは、1835年、30歳のときだった。「子供に話して聞かせるお話」という本で、「小クラウスと大クラウス」など3編の民話にもとづいた話と「小さいイーダの花」という創作童話がおさめられていた。その文名は、小説「即興詩人」によって、すでに高められたものの、童話は子供だましにすぎないとして、当時はあまり評価されていなかった。しかし、子どもやまずしい人たちによって愛読されていることを知って、アンデルセンはそれ以後も童話を書きつづけ、3冊目の童話集におさめられた代表作である「人魚姫」によって、童話もすばらしい文学でありうることがみとめられ、近代童話の確立者としての名声をえることになった。以来、156編にものぼるアンデルセン童話は、グリム童話とならぶ童話の古典として、今なお全世界の子どもたちに読みつがれている。随想風作品「絵のない絵本」等がある。

吉田一穂(よしだ・いっすい)
1898〜1973。北海道上磯郡で漁場の網元の子として生れる。早稲田英文科中退。第一詩集『海の聖母』で北原白秋の激賞を受けた。金子光晴らと日本詩会を創設。「詩と詩論」同人を経て、北原白秋、佐藤一英、逸見猶吉らと「新詩論」を創刊。“イデエとしての詩”を考える独特の詩人であった。『故園の書』『稗子伝』『未来者』等の詩集のほか、『海の人形』をはじめとする童話集もある。

小熊秀雄
1901年北海道小樽市稲穂町に生まれる。幼少期を稚内市・秋田・樺太で過ごし養鶏場の番人など様々な雑務作業に従事した後、旭川新聞社で新聞記者となる。この頃から詩作を始め、27歳で上京後は雑誌社や業界新聞で働きながら、雑誌『民謡詩人』などに作品を発表。「小熊秀雄詩集」長編叙事詩集『飛ぶ橇』で詩人としての地位を確立、自由や理想を奔放に歌い上げる作風で、詩壇に新風を吹き込んだ。詩作にとどまらず、童話・評論・絵画など幅広い分野で活躍した。「池袋モンパルナスに夜が来た」という文で始まる詩を発表。「池袋モンパルナス」の名づけ親といわれている。

寺山 修司
1935年ー1983年。日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。「言葉の錬金術師」の異名をとり、上記の他に俳人、詩人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、評論家、俳優、写真家などとしても活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。

大輪茂男
1946年生。音楽プロデューサー、演出家。
著作に、小説「パリ築地明石町」詩集「青の光」童話集「星降る夜の綱渡り」戯曲「イヴモンタン」「どん底龍馬」「ロータスの王冠」等がある。
2015年11月19日 | Comment(0) | 日々の泡

️第四回大輪塾~音と言葉によるサーカス朗読劇~チラシより

「谷崎、芥川、三島を読む」
(2017年6月20日〜22日青山マンダラにて)
http://www.mandala.gr.jp/aoyama.html

其の一 谷崎潤一郎『刺青』解説

神奈川文学館の展示会を始め今、最も注目される文学者谷崎潤一郎の処女作であります。
この短編には、その後の谷崎文学の特質である倒錯した性への憧憬とエロチシズム思考が如実に現れている作品といえましょう。感情を抑えた情景描写による筋立て、江戸弁、江戸風情が折り合って、今流行りの、女々しい心理描写タラタラ小説のような饒舌愚を見下して、孤高の彫像のように研ぎ澄まされた異色文芸作品であります。
江戸一番の彫り物師清吉が、町で見かけた娘の肌へ刺す、その針に覚える愉悦、そして痛みを越えた快楽がやがて征服者から被征服者へと転じたその時・・・・・裸身に燃えて、女郎蜘蛛は赤く情念の台詞を清吉に囁き掛ける。その言葉の物凄さ・・・若尾文子主演の数々の谷崎映画がブームの今、この数ページの短編を我が塾では、着物姿の男2人と女1人の言葉が語り、演じ、そこに生のドラムとギターが妖しいジプシー音楽を絡めて、物語して行きます。

其の二 芥川龍之介「南京の基督」

生涯、阿呆の如く只々無心に神を「信ずる事」と、理性的知識人として神の存在をあくまで「懐疑する事」、近代人として避けて通る事の出来ないこの精神的相克に悩み生きた芥川龍之介。
その問いかけを見事に我々に提出したのがこの魅力的作品「南京の基督」であります。
娼婦を生業とする少女金花は、梅毒に冒され、病を人にうつしてはならないと神に誓っていたが、ある夜、彼女が日頃祈る十字架のイエスと思える男が現れ、彼女はその禁を犯してしまいます。
果たして翌日、彼女の身に起きた奇跡は、信仰のなせるわざなのか、それとも男に病をうつした病理的結果のことなのか。物語は多くを語らず、金花の信念の言葉によって閉じられます。
谷崎潤一郎の中国紀行文「秦淮の一夜」を借りて描いたと言われるこの作品。
我が塾では女性4名により、明るくライト感覚な演技で娼婦部屋の物語を描き、バッハ、ヘンデル、モーツアルトの音楽が主人公の心のモチーフとして流れて行きます。乞う、ご期待!

其の三 三島由紀夫「離宮の松」

膨大な三島作品の中から何故、この一見平凡に見える作品「離宮の松」が選ばれたのか?
おそらく主宰者の大輪イズムならば、オルフェの詩人ジャン・コクトーと天使の手袋天才少年レイモン・ラディゲとの出会いと死を描いた「ラディゲの死」、或いは谷崎、芥川の延長であるならば安倍晴明を描いた「花山院」あたりが選ばれるのが妥当かと思われました。
ところが、この作品を読み進めて行くと、ある場面で突然、演出家の頭にはE・プレスリーの「好きにならずにはいられない」という名曲が流れた。これだ!と言うその音楽的直感が決め手だと言います。三島とプレスリーが、果たしてどう融合するのか。
新橋の料亭で子守りを言いつけられた田舎出の娘美代は、赤児を背負って銀座を、そして浜離宮を彷徨う内に、一本の恩寵の松の木の下で日活映画に出てくるような一人の男に出会い、一方的な儚い恋をします。そしてありきたりの失恋。その時、幼い美代の心には、とてつもない復讐の羽ばたきが湧き上がります。
心理小説の美文家、三島文学には、時として少年や少女の心を描いた好短編が散在しますが、この作品は一見平凡に見えて、その奥には恐ろしく無邪気で、残虐な少女心を描いた三島ならではの、美しい童話作品であると思われます。
美代とその離宮界隈の叙情的風景を三人の女と一人の男の役者たちが、どのように演じるか?乞う、ご期待!

以上で三日間にわたる、大輪塾朗読劇三作品の解説を終わります。
どのように、この文学作品が音楽とマッチしてライブハウス化されるのか、皆様のご来演を、お待ちしております。
2015年11月19日 | Comment(0) | 日々の泡

Boroの最新アルバムの為のライナーノート

童謡「大阪で生まれる歌」

歌たちが、言う。
「僕たち、ずいぶん待ったよ、私たちを、ずいぶん待たせたね、BORO!」

そこにはもう、書いた人も、作った人も、歌った人もいない。あるいは何処かへ行ってしまったのかも知れない。だが歌は、唄い継がれて初めて「歌」となる。「蘇生」する、よみがえるのだ。人生の椅子を得るのだ。まるで童謡のように。
確かに現代は「再生」の時代ではある。映像を再生する、音を再生する、言葉を再生すると言う。まるで再生工場だ。だがそれは果たして蘇生だろうか。
リピートとするとは、馬鹿のようにただ繰り返し覚える事だろうか。だがそこには伝えると言う行為がない。人に伝えるには愛がなくてはならないからだ。

ここに1人の歌手がいる。BORO。
彼は歌う、友の作った曲を、自分の曲も。しかし彼はその歌の姿を人 に見せたいのではない。彼の願うことはひとつ。そうした歌たちがどれだけ自分や仲間たちを救って来てくれたことか、その感謝の姿を語るのだ。
そして、戦い、病に勝った彼はまさに今また、J・レノンが歌ったように彼の信じる歌の力に救われたのである。ここにアルバム「大阪で生まれた歌」が誕生した要因があるのだろうと思う。

ボロの歌声を聴きながら・・・・そのタイトル物語が。

「悲しい色やね」と男が空を見上げて呟く。
「うん、月のあかり」と女も空を見上げる。雨になるのかも知れないと女は思った。
「浪速恋しぐれ・・・か」ポツリと女。
「え、何て言った?」と男は聞き返す。「別に・・・」女は、はにかんだ。
もう、10年も昔のことだ。女は目の前の男の兄を愛していた。まだ18歳だった。
そして19歳、急に冷たくされ、別れてこの街を去った。
駅まで送りに来てくれたのは弟の方だった。汽車が出るとき弟は何か告げようとした。しかし、それは風に消えた。
上京し「大阪で生まれた女」をどれだけ聞いたことだろう。神田川、早稲田通り
、雨降り、それでも働いて、泣かされて、恨んで、そして良く笑うようにもなった。
歌う度に、少女は大人になった。
そんな時、疼くように別れた彼の笑顔が浮かんだ。
「もう忘れよう、あいつの事は、あいつは悲しい大阪エレジーや!」
そして少女は強くなった、生まれ変わった。

10数年ぶりに戻った大阪は活気づいていた。彼の弟は結婚し一児のパパにな
っていた。
「あの後、兄は入院し、すぐ死んだよ」
「知らなかったの、ずいぶん後になって友達から聞いたわ」
「黙ってろよって言ってたからな」
「馬鹿みたい、カッコつけてさ、強がって、私を泣かせて、そして強くしてくれ
たわ。あいつ、歌ってた、あの歌?私が好きだった・・・」
「飲んで、飲んで、飲まれて、飲んで・・・」
「やがて、静かに眠るのでしょう。やっぱり、嫌いだな、あの歌・・・」
男は女の目に涙が光るのを見た。呼応したかのように御堂筋にも雨が降り出した。
「ううん、やっぱ好きやねん」
「どっちやねん」
「ねえ、ねえ、明日、六甲おろし、聞きに行こう。奥さんと皆んなでさ!」
「晴れるかな?」男はまた空を見上げた。
「ほら、また月のあかりが。晴れるよ、明日は死んだ晴夫の命日だもん、外
野席でもいいじゃない」
「そうか、じゃあ、晴れる!」
「うん、明るく晴れて、勝つ!それが、大阪で生まれた女!」

ボロは、物語を紡ぐ歌人だ。彼の声には円環する物語がある。
彼は大阪で生まれた人間の毒や、病や、痛みや、哀しみを、そのダミ声で包み込む。何という悪戯だ。まるで大人の童謡歌手だ。
彼の歌も、歌となったが、彼はまだ人生の椅子を探し続ける旅にいる。
もっと、もっと人に歌ってもらいたい曲が、かれの目の前には浮かんでいるからだ。したがって「大阪で生まれた歌」は結果ではない。「大阪で生まれる歌」のための創造の要因なのだ。桑名が、英五が、キー坊達は、それをボロに託し、歌うことを 許したのだと思う。それを一番知っているのはボロに本人に他ならないのだから。


演出家・音楽プロデューサー 「大輪塾」主宰
大輪茂男
2015年11月19日 | Comment(0) | 日々の泡
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