️第四回大輪塾~音と言葉によるサーカス朗読劇~チラシより

「谷崎、芥川、三島を読む」
(2017年6月20日〜22日青山マンダラにて)
http://www.mandala.gr.jp/aoyama.html

其の一 谷崎潤一郎『刺青』解説

神奈川文学館の展示会を始め今、最も注目される文学者谷崎潤一郎の処女作であります。
この短編には、その後の谷崎文学の特質である倒錯した性への憧憬とエロチシズム思考が如実に現れている作品といえましょう。感情を抑えた情景描写による筋立て、江戸弁、江戸風情が折り合って、今流行りの、女々しい心理描写タラタラ小説のような饒舌愚を見下して、孤高の彫像のように研ぎ澄まされた異色文芸作品であります。
江戸一番の彫り物師清吉が、町で見かけた娘の肌へ刺す、その針に覚える愉悦、そして痛みを越えた快楽がやがて征服者から被征服者へと転じたその時・・・・・裸身に燃えて、女郎蜘蛛は赤く情念の台詞を清吉に囁き掛ける。その言葉の物凄さ・・・若尾文子主演の数々の谷崎映画がブームの今、この数ページの短編を我が塾では、着物姿の男2人と女1人の言葉が語り、演じ、そこに生のドラムとギターが妖しいジプシー音楽を絡めて、物語して行きます。

其の二 芥川龍之介「南京の基督」

生涯、阿呆の如く只々無心に神を「信ずる事」と、理性的知識人として神の存在をあくまで「懐疑する事」、近代人として避けて通る事の出来ないこの精神的相克に悩み生きた芥川龍之介。
その問いかけを見事に我々に提出したのがこの魅力的作品「南京の基督」であります。
娼婦を生業とする少女金花は、梅毒に冒され、病を人にうつしてはならないと神に誓っていたが、ある夜、彼女が日頃祈る十字架のイエスと思える男が現れ、彼女はその禁を犯してしまいます。
果たして翌日、彼女の身に起きた奇跡は、信仰のなせるわざなのか、それとも男に病をうつした病理的結果のことなのか。物語は多くを語らず、金花の信念の言葉によって閉じられます。
谷崎潤一郎の中国紀行文「秦淮の一夜」を借りて描いたと言われるこの作品。
我が塾では女性4名により、明るくライト感覚な演技で娼婦部屋の物語を描き、バッハ、ヘンデル、モーツアルトの音楽が主人公の心のモチーフとして流れて行きます。乞う、ご期待!

其の三 三島由紀夫「離宮の松」

膨大な三島作品の中から何故、この一見平凡に見える作品「離宮の松」が選ばれたのか?
おそらく主宰者の大輪イズムならば、オルフェの詩人ジャン・コクトーと天使の手袋天才少年レイモン・ラディゲとの出会いと死を描いた「ラディゲの死」、或いは谷崎、芥川の延長であるならば安倍晴明を描いた「花山院」あたりが選ばれるのが妥当かと思われました。
ところが、この作品を読み進めて行くと、ある場面で突然、演出家の頭にはE・プレスリーの「好きにならずにはいられない」という名曲が流れた。これだ!と言うその音楽的直感が決め手だと言います。三島とプレスリーが、果たしてどう融合するのか。
新橋の料亭で子守りを言いつけられた田舎出の娘美代は、赤児を背負って銀座を、そして浜離宮を彷徨う内に、一本の恩寵の松の木の下で日活映画に出てくるような一人の男に出会い、一方的な儚い恋をします。そしてありきたりの失恋。その時、幼い美代の心には、とてつもない復讐の羽ばたきが湧き上がります。
心理小説の美文家、三島文学には、時として少年や少女の心を描いた好短編が散在しますが、この作品は一見平凡に見えて、その奥には恐ろしく無邪気で、残虐な少女心を描いた三島ならではの、美しい童話作品であると思われます。
美代とその離宮界隈の叙情的風景を三人の女と一人の男の役者たちが、どのように演じるか?乞う、ご期待!

以上で三日間にわたる、大輪塾朗読劇三作品の解説を終わります。
どのように、この文学作品が音楽とマッチしてライブハウス化されるのか、皆様のご来演を、お待ちしております。
2015年11月19日 | Comment(0) | 日々の泡
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