Boroの最新アルバムの為のライナーノート

童謡「大阪で生まれる歌」

歌たちが、言う。
「僕たち、ずいぶん待ったよ、私たちを、ずいぶん待たせたね、BORO!」

そこにはもう、書いた人も、作った人も、歌った人もいない。あるいは何処かへ行ってしまったのかも知れない。だが歌は、唄い継がれて初めて「歌」となる。「蘇生」する、よみがえるのだ。人生の椅子を得るのだ。まるで童謡のように。
確かに現代は「再生」の時代ではある。映像を再生する、音を再生する、言葉を再生すると言う。まるで再生工場だ。だがそれは果たして蘇生だろうか。
リピートとするとは、馬鹿のようにただ繰り返し覚える事だろうか。だがそこには伝えると言う行為がない。人に伝えるには愛がなくてはならないからだ。

ここに1人の歌手がいる。BORO。
彼は歌う、友の作った曲を、自分の曲も。しかし彼はその歌の姿を人 に見せたいのではない。彼の願うことはひとつ。そうした歌たちがどれだけ自分や仲間たちを救って来てくれたことか、その感謝の姿を語るのだ。
そして、戦い、病に勝った彼はまさに今また、J・レノンが歌ったように彼の信じる歌の力に救われたのである。ここにアルバム「大阪で生まれた歌」が誕生した要因があるのだろうと思う。

ボロの歌声を聴きながら・・・・そのタイトル物語が。

「悲しい色やね」と男が空を見上げて呟く。
「うん、月のあかり」と女も空を見上げる。雨になるのかも知れないと女は思った。
「浪速恋しぐれ・・・か」ポツリと女。
「え、何て言った?」と男は聞き返す。「別に・・・」女は、はにかんだ。
もう、10年も昔のことだ。女は目の前の男の兄を愛していた。まだ18歳だった。
そして19歳、急に冷たくされ、別れてこの街を去った。
駅まで送りに来てくれたのは弟の方だった。汽車が出るとき弟は何か告げようとした。しかし、それは風に消えた。
上京し「大阪で生まれた女」をどれだけ聞いたことだろう。神田川、早稲田通り
、雨降り、それでも働いて、泣かされて、恨んで、そして良く笑うようにもなった。
歌う度に、少女は大人になった。
そんな時、疼くように別れた彼の笑顔が浮かんだ。
「もう忘れよう、あいつの事は、あいつは悲しい大阪エレジーや!」
そして少女は強くなった、生まれ変わった。

10数年ぶりに戻った大阪は活気づいていた。彼の弟は結婚し一児のパパにな
っていた。
「あの後、兄は入院し、すぐ死んだよ」
「知らなかったの、ずいぶん後になって友達から聞いたわ」
「黙ってろよって言ってたからな」
「馬鹿みたい、カッコつけてさ、強がって、私を泣かせて、そして強くしてくれ
たわ。あいつ、歌ってた、あの歌?私が好きだった・・・」
「飲んで、飲んで、飲まれて、飲んで・・・」
「やがて、静かに眠るのでしょう。やっぱり、嫌いだな、あの歌・・・」
男は女の目に涙が光るのを見た。呼応したかのように御堂筋にも雨が降り出した。
「ううん、やっぱ好きやねん」
「どっちやねん」
「ねえ、ねえ、明日、六甲おろし、聞きに行こう。奥さんと皆んなでさ!」
「晴れるかな?」男はまた空を見上げた。
「ほら、また月のあかりが。晴れるよ、明日は死んだ晴夫の命日だもん、外
野席でもいいじゃない」
「そうか、じゃあ、晴れる!」
「うん、明るく晴れて、勝つ!それが、大阪で生まれた女!」

ボロは、物語を紡ぐ歌人だ。彼の声には円環する物語がある。
彼は大阪で生まれた人間の毒や、病や、痛みや、哀しみを、そのダミ声で包み込む。何という悪戯だ。まるで大人の童謡歌手だ。
彼の歌も、歌となったが、彼はまだ人生の椅子を探し続ける旅にいる。
もっと、もっと人に歌ってもらいたい曲が、かれの目の前には浮かんでいるからだ。したがって「大阪で生まれた歌」は結果ではない。「大阪で生まれる歌」のための創造の要因なのだ。桑名が、英五が、キー坊達は、それをボロに託し、歌うことを 許したのだと思う。それを一番知っているのはボロに本人に他ならないのだから。


演出家・音楽プロデューサー 「大輪塾」主宰
大輪茂男
2015年11月19日 | Comment(0) | 日々の泡
Copyright(C)2000 shigeo owa Arlequin LTD ALL right reserved